2010.5.13 ゼミ報告
川上@これが川上が発信する最後の木ゼミ報告かな。
先日、「信さん 炭坑町のセレナーデ」 という映画の試写会へ行ってきました。
この映画は昭和38年頃の、ある炭鉱町に生活する人々(子どもも含む)を描いたもので、主演は小雪です。
その昔、高校卒業まで炭住に居た川上にとっては、その社宅の風景そのものが懐かしく、それを観るだけでも良かったのですが。
その映画では、労働争議、朝鮮人差別、炭塵爆発事故、閉山、等などを扱っており、各問題が大き過ぎて、2時間弱の映画でそれらをまとめて描こうとするのは無理があったようで、内容的には少し物足りなさは感じました。
川上が住んでいた炭住は、大牟田市(福岡県)と荒尾市(熊本県)に跨っており、ちょうど中央部を県境=市境が走る位置関係になっておりました。すなわち、社宅内を少し移動すれば両県をまたぐことになったのです。
そして、親が社宅内で引越しした関係で、川上は小学校を荒尾側で、中学高校時代を大牟田側で過ごしました。
各県側にそれぞれ数百世帯の社宅が並び、その一帯は周囲とは隔絶された炭坑の城下町でした。
労働争議が終わってからはめったに警察も寄り付きませんでしたので、小学校高学年の時代から社宅内で、ホンダのスーパーカブ50CCに乗って(もちろん無免許)皆んなで遊んだりしていたものです。
合計1000世帯以上が暮らしていたその区画には、一挙に数十人が入れる大きさの共同浴場が分散して三つあり、毎日歩いて風呂入りに通っておりました(各戸に風呂なし)。他にはソフトボールが二面以上取れる広場が三つ、小学校の分校が一つ、幼稚園が一つ、その区画の住民しか行かないだろうなという床屋が二つ、郵便局ももちろん一つありました。
共同浴場は午後10時までしか開いていないので、受験勉強をしている時期は、不本意な時間に入らねばならず、雨の日はせっかくお風呂に入ったのに帰宅する途中で、ずぶ濡れということもありました。
ただ、共同浴場独特の楽しいこともありました。
住民全部がそこで入浴するので、同級生の可愛い娘も来るわけで、我々悪ガキは、女湯にも出入り自由な小さな子をスパイに使ってA子ちゃん(このAは任意の定数ではなく、数日毎に名前を変化させます)の膨らみかけたオッパイの大きさを報告させていたものです。→こういう話題だと必ず入っていたMさんのクレームも今となっては懐かしいー!です。
上記の映画でもそうでしたが、閉山後は無人の街と化し、最終的には広大な更地が出現しました。 二十年ほど前、その廃墟に、妻子を連れて車で立ち寄ってみましたが、まさに何もなく、あの頃の住民の人たちとは、"偶然に出会う"ことすらありません。皆んな、何処へ行ったんでしょうか?
映画「三丁目の夕日」みたいに幻でもいいからあの炭住にもう一度もどりたいような気もします。
話は変わりますが、長年この欄に駄文を記していた川上も木ゼミ担当を辞任いたしますので、このゼミ報告を卒業させていただきます。
でも炭住とは違って、福岡市中央区大名にあるウェルビーイングビルには皆さんが集まれる場所があります。
しかも今年度からは 『ヘルスプロモーション CAFE $ BAR 』 と木ゼミとのコラボも始まり、その時には栄養・食物関係の先生方との交流も盛んになっています。 我々メンバーの高齢化も一部囁かれてはおりますが、関西WC、川崎大志会その他の先生方とも2月のオープンプラットホームなどで、飲んで話して理解が深まっております。 各グループだけでは孤立したり、世代交代に失敗したりと、いろいろ生じるとは思いますが、皆で悩みを分かち合いながら、これ以降も楽しみながらやっていきたいものです。
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以下、ゼミ報告。
<今週の目玉>
ついに「ジェロントロジー」の抄読が終わりました。
交代で担当された皆さん、ご苦労様でした。
これについての「まとめ」を、川上が編集担当するウェルビーイングニュース7月号で、行なうことになっております。
まだ終わったばかりで、構想も練れておりませんが、何とかやってみます。